Tumblelog by Soup.io
Newer posts are loading.
You are at the newest post.
Click here to check if anything new just came in.
23:32

最近もっとも感心したのは片岡義男の書き下ろし長編評論『日本語の外へ』だ。片岡義男と村上春樹を、同じような作風の小説家だと思っている人も多いのではないか。だとしたら、それは大きな誤解だ。片岡にとっての「アメリカ」は、一つの現実だが、村上春樹の「アメリカ」はファンタジーでしかない。現実のアメリカに村上春樹が初めて接したとき、<もっと作家は現実にコミットすべきである>という思想的転向がおとずれたことが、(エッセイ集『やがて悲しき外国語』を参照すべし)それまでの村上の言語活動が、55年体制下の日本でしか成立しない、ローカルな表現であったことを証明している。

 現代日本語がローカルな表現の道具にしかなりえない理由は、それがオンボロな言語だからだ。錆び付いているからだ。そして、錆び付いたまま、長い間放置され、誰もそれをチューンしようとしないからだ。政治家の言葉、官僚の言葉、企業経営者の言葉、そして作家の言葉。これらすべてが、言語として成立しない無惨なものとなりはてている。英語が話せないから日本が国際化できないのではなく、日本語ですらまともに話せないから、彼らの言葉は世界の誰にも伝わらないのだ。この国とその言葉がいま、いかに奇妙なものとなり果てているかが、本書の片岡義男の硬質な文章によってみごとに浮かび上がる。これこそが、いま必要な、ハードボイルドな日本語なのだ。いまこそ錆び付いてガタのきている日本語というオンボロ自動車をもっと高性能にチューンアップしなければならない。

オンボロ日本語をチューンせよ

image

ハードボイルドな日本語

(via

neetria

)

Don't be the product, buy the product!

Schweinderl